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夏目漱石の最後の作品「明暗」とは?また夏目漱石はどんな人物?

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夏目漱石はいくつも名作を生み出している小説家です。その夏目漱石の最後の作品となったのが「明暗」だと言われ、執筆中に亡くなったため未完の小説なのです。

夏目漱石の明暗は、全188章で構成された大長編になっていてある夫婦のお話がベースなのですが、続きがないためとても気になる内容で終わってしまっています。

夏目漱石は優秀な人物なのですが体が虚弱体質、神経質ということもあり定職にはなかなか就けず苦労した人物です。

そしてその自身の神経衰弱のために小説を書き始めたのですが、それが天職だったようでそこから才能が開花し後世まで語り継がれる小説家になったのです。

今回の記事では夏目漱石の最後の作品「明暗」について、さらに夏目漱石の人となりを紹していきます。

夏目漱石に興味を持ち始めた人、読んだことがある人もこの記事ではまだ知らぬ夏目漱石と出会えるとても興味深い内容になっていますよ。

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夏目漱石の最後の作品「明暗」とは?

夏目漱石の作品「明暗」は漱石の最後の作品であり、執筆中に亡くなったために未完となっています。

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全188章で構成された大長編であり、内容は男女の三角関係を描いています。

主人公の「津田 由雄(つだ よしお)」は妻である「お延(のぶ)」と結婚して半年ほど、新婚生活を東京で過ごしています。

周囲からは幸せな新婚生活を送っている、とみられているものの、津田の心の中にはかつての恋人で突然に姿を消した「清子(きよこ)」のことが引っかかっています。

その為に妻のお延をどこか冷めた目で接してしまう日々を過ごす中、自らの気持ちに決着をつけることを決心し清子へ会いに行く、というのが大筋の内容です。

新婚の妻と元カノの三角関係の描写、ということで令和の現代でも、この小説が書かれた大正時代でも男女の恋愛沙汰に変わりなし、といったところでしょうか。

登場人物や細かい描写なども多く、なかなか本筋が進んでいきません。なので180章を超える作品となってしまったのでしょう。

主人公の元恋人「清子」が登場するのは後半も後半、いよいよ物語の本質に迫る!といった矢先に作者自身が亡くなってしまいました。

結末を述べるものが誰も存在しないことから、果たして読むべきなのか悩ませる作品であるのは間違いないでしょう。

さて、絶筆となってしまったこの「明暗」を執筆時の漱石はどのような日々を過ごしていたのでしょうか。

「明暗」を執筆していた晩年の夏目漱石

49歳で亡くなった夏目漱石ですが、晩年は病との戦いでした。

元々は現在の東京大学の前身である東京帝国大学で修学した秀才であり、卒業後は講師として生計を立てていましたが、大学入学頃より神経衰弱に悩まされる日々を過ごしていたようです。

そして神経衰弱治療の一環として取り組んだ執筆活動が、後世にまで名を遺す偉大な作家の始まりとなりましたので、人生は本当不思議なものですね。

しかし晩年漱石を苦しめたのは胃潰瘍。大きな胃潰瘍を数回起こしたそうで、なかなか治らなかったために胃がんだった可能性もあるといわれています。

神経衰弱が胃潰瘍に繋がったことも充分考えられますが、いずれにせよ惜しまれるべき早逝であることは間違いありません。

偉大な作家であった漱石とはどんな人となりであったのでしょうか?

夏目漱石はどんな人

漱石は1867年に現在の東京都新宿区で生まれました。家は地域の名主でしたが、両親が高齢であったことや腹違いの兄弟がいたこともあり、早々に里子へと出されてしまいます。

その後兄弟たちが病により逝去し、実の父親が復縁を求めたため21歳に夏目家に復籍、その後は「夏目」姓を生涯貫いています。

なお学校では英文学を先行し、23歳時に東京帝国大学英文科に入学、大学では猛烈に英文学の勉強に励みました。なんと首席で卒業したそうですよ。

漱石が愛蔵した書籍は現在東北大学図書館に収蔵されていますが、その当時の猛勉強ぶりを表すように書籍に多数の書き込みが残されています。

前述の通り大学入学頃から神経衰弱に悩まされ、住まいを転々とし一時期は寺での修行を行い克服を図ろうとしたそうです。残念ながら叶わなかったようですが。

その後結婚、また教師として高等学校に赴任も、33歳の時に国費により英国へ留学することとなりました。

この英国留学でも金策に苦しんだ結果、神経衰弱を悪化させてしまい2年ほどで帰国。「もっとも不愉快な2年間なり」と言わしめた苦しいときを過ごしたようです。

帰国後、東京帝国大学の英文科講師として働くものの、生徒からの評判も悪く更に神経症は悪化。

そこで旧知の親友であった正岡子規の弟子である高浜虚子のすすめで小説を執筆することとなったのです。

そして処女作として発表されたのが「吾輩は猫である」です。日本人であれば読んだことは無くても、一度は名前を聞いたことがある題名ですよね。

デビューののちは、講師をやめて朝日新聞社へ入社。作家として生きていくことを決意し、様々な作品を意欲的に執筆していきます。

そして漱石の教員時代の教え子や慕う若手文学者を毎週木曜日に私邸に招き、様々な議論を交わした会合を開くこととなりました。

この集まりは「木曜会」と呼ばれ、森鴎外、芥川龍之介、鈴木三重吉といったこれまた日本を代表する作家たちが参加しており、日本文学の歴史に大きな影響を与えた会となりました。

書ききれないほどのエピソードを持つ漱石ですが、すぐれた作品以外にも後進の育成も行い、日本文学に名を残すのも納得の功績を持っていることが良く理解できるかと思います。

さて、最後に漱石の作品でおすすめの代表作をいくつかご紹介いたします・

夏目漱石のおすすめの代表作とは?

私がお勧めする夏目漱石の代表作は下記の2つです。

  • 虚美人草
  • 吾輩は猫である

どちらも良い見ごたえのある良作ですのでおススメです。

虚美人草

1988年発表。一字一句渾身をもって記したと漱石自身が語るくらいに美しい文で細かく描写されている作品で、一読の価値ありです。

吾輩は猫である

社会のテストでは必ず出てきた記憶の有る、漱石といえばこれ!の定番作品といえます。

処女作にして、童話的でありながら大人が読んでも唸らされる奥の深さこそが名作と言われるゆえんであるのでしょう。

その他、坊ちゃん・三四郎・倫敦塔から冒頭紹介した明暗等、様々な名作がありますのでどれから読んでも満足のいく内容ではないか、と思います。

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